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つづきです。
ミニマルマンを見てくれた人の何人かに、 ”あ、あの感覚分かりますよ〜〜”とかいわれた。 勿論、野郎である。 動きが素晴らしいとか、顔が美しいとか、そんな 感想ではなく、うえのリアクションをいただいた時に、 あ、つくってよかったなあ、とココロから思った。 ただ、ダンスをばりばりやってる数名のギャルたちが、 「いつあの人踊るのかしら〜〜」 とかほざいていたらしい。まあ、それも一興。わからんでもないし、そういうこと 目的にしてなかったし。。。 いずれにせよ、ギャルも、取り込めないほど、まだまだな パフォーマンスだったのだとも思う。 この作品の空間、音のコンセプトは、 「たんたんと繰り返されすぎていく時間経過の中で、現れる空間のねじれ」 的なことになったのだが、 パフォーマーとして、とにかく、そういうふうでありたかったのである。 「誰にでも、どこにでもある日常の心理や行動」 一日は、いろんな時間と感情の起伏で構成されている。 そこを、客とシェイクハンドした状態をキープしながら、丁寧に探り、描写し、 時には、裏切りと逸脱をしたりして、ナビゲーションしたかったのかもしれない。 そこの感覚を、例のパフォーマンスグループは、 より豊富な構成で、より蓄積されたプロフェッショナルな技術で、よりぬかりなく演出していた。 この謙虚で好奇心旺盛な姿勢が有る限り、彼らは、どんどん世界に出て行くのだとも 思っています。 昨日、今やかなりメジャーにビジネス展開するエンターテイメントグループのプロデューサーと
打ち合わせする機会があった。 ひととおり、打ち合わせを終わりプレスリリースをいただき、そのあと見てみた。 その中のジャーナリストの一説に 「○○は、人の表と裏をひっくり返したような人なのです。それは、社会的なマスクに私たちが隠しているようなことを彼らに見ることができるということ。」 この言葉上だとなんの変哲もないものだが、実際のパフォーマンスにおいては、彼らはそれを120%体現している。 全てのライブアートにとって、必要なのは、このことであるような気がする。 もちろん、そのカテゴリにおいて飛びぬけたスキルをもって、コンクールで賞をとってしまうような人ーいわゆる天才ーは、さておき、 人がわざわざ入場料払って会場に出向くための動機としては、パフォーマーが、裏ー日常生活では、なかなか公開できないもの、社会で禁じられているもの、見たいけどなかなか見えてこないものーを体現してくれる存在「自分の変わりにやってくれちゃう」ことが、観客の気持ちを昇華し満足させる。 しかしながら、裏 は、裏流にやってしまうと、逆効果となる。いわゆる、そんなとこまでみたくない という領域に入ってしまうものだ。 ところが、このパフォーマンスグループには、そんな独りよがりなエゴは、作品中全く感じられない。 常に敏感に、客席に対応し、むしろ、それがおかずとなって、美味い料理にして返すほど、プロフェッショナルだ。 2005年に上演したMINIMALMANの制作過程を思い出した。 ミニマルというと、
北欧や西欧のデザインやライフスタイルの分野の話しに思えます。 しかし、 日本には、本来、四季折々を楽しむ優雅な文化がありました。 空間の変化を繊細にキャッチし、表現を愉しむ感覚にも優れていました。 旬の採れたてを食す文化もありました。 ごみひとつ落とさず循環させる江戸の大リサイクル社会もありました。 これをミニマルと呼んでいいものかわかりませんし、 西欧、北欧のクールなミニマル感覚も好きですが、 同じ日本人として、全般的に、ややウエッティな 「和」のモダーンな感覚、洗練されたデザイン力、細かい描写力、一点豪華主義、、、なども、 大きな特徴に思え、このサイトでは紹介していきます。 美しい自然資源に囲まれた日本。 森羅万象のすべてに八百万の神々をみてきた思想。 自然に生かされていることへの意識と実感。 こうした発想による日々の生活における繰り返しの行動は、 環境破壊を少しずつでも食い止める大きな力になるに間違いありません。 というか、すべての日本人が、プライドをもっていいことだと思えます。 |
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